大好評だった 「銚子ジオパーク推進協議会」の出前講座

 『 “銚子ジオパークってなあに 』 ぜひ、皆さんも聞いてください!

 
房総の会」(退職女性教職員・銚子支部)の研修活動の一環としての学習会(「学習・交流会 in  銚子」)が、2月13日(木)に銚子プラザホテルで開催されました。

講師は、銚子市地域協働課ジオパーク推進室の山田雅仁氏で、『“銚子ジオパークってなあに 』というテーマでお話して頂きました。


①山田1402131050Ed 私は、「銚子ジオパーク推進市民の会」の一員でもあるため、特別な思いでの参加でした。
 日頃から、「一人でも多くの方に、銚子ジオパークについての興味・関心を持って頂きたい」という願いがあったため、この企画を知った時は感無量でした。
 

そして、待ちに待った当日です。
 「ジオパークって難しい、と思っているのでは?」とちょっと心配でしたが、皆さんの目の輝きと頷きに、不安は一掃されました。
 

 「銚子の大地の成り立ち」と「自然とのかかわり」・「地質遺産」・「文化遺産」・「観光資源」・「産業」等々、ジオパークを切り口に、銚子の魅力を丸ごと見つめ捉えての内容を、映像を通して分かりやすく説明して下さったので、確実に皆さんの心に響いたことを実感しました。

 2年半後に控えている再審査に対しての不安も覗かせ、自分たち市民とジオとの関わり方を問うような質問も出た程でした。
 

 後日、一部の方からではありますが、次のようなご感想を寄せて頂きました。

③山田1402131052Ed  身近に貴重な財産があることが分かり、良かったと思います。
 より多くの人が自覚して、次世代に繋げていく努力をしていくことが大切だと思います。

  映像を交えての説明でしたので、とても分かりやすく有意義な研修でした。
 皆さん集中して聞き入っていました。

 銚子の町で、ジュラ紀・白亜紀の岩が見られるなんて凄いことだと思いました。
 ゆっくり街歩きをしたいと思いました。

 映像を交えて丁寧に説明してくれて、分かりやすかったです。
 講師は地元出身でないのに、ジオへの情熱を感じました。

 映像で地質図等を確認することができ、自分たちの町に関心をもつことができた。
 ジオパークの存続に、市民の力が必要と分かって良かった。

 ジオパークと聞くと、先ず「地質?難しい。」が先に立ちます。一般向けのガイド・パンフレットを手にしてみても同様です。
 「現在、子ども向けのパンフレットも作成中」とのことで、安心しました。
 多くの人に関心をもってもらい、銚子の活性化に繋げていけるようにしたいです。 

 講師の説明の順序立てがよく、大変分かりやすかったので、あのような内容の印刷物もあるとよいと思いました。

④山田1402131209Ed2 説明が分かりやすかった。
 市民でいながら銚子の実情を知らないことを実感しました。
 ジオについて、もっと関心をもつべきですね。

 講師は想像していた以上に銚子の事を知っておられ、素晴らしいと思いました。
 私も一市民として、恵まれた銚子について、遅ればせながら勉強します。
 ジオパークの意味、銚子の地形についての歴史等が分かりました。 

  色々な地層を見ることができる銚子、今まで漠然としていたジオの実態が少し見えてき
  たのを感じた。
   「大地の営み、大地の恵み、大地と人との関わり」を通して、地域の活性化に繋げる、
  というジオパークの目標に、少しでもお役に立ちたいと思った。
   市民が一丸となってジオの活動を支えて行けば、冷え込んでいる銚子も活性化するので
  は?
   微力ながら、他県の友人・知人に宣伝して行きたい。


 以上から分かるように、今回の講話をお聞きして、ジオパークに興味・関心を持ち、動き出そうとしている方が何名かいます。
 そして、この他の方も、「自分も何か・・・」と決意を新たにしたのではないかと思いました。

②山田1402131051Ed 銚子の魅力を再発見・再認識することが、結果的には波及効果で、銚子の活性化、そして未来へと繋がっていくものと信じていますが、今回の講座で、それが再確認できました。

 銚子の活性化に向けて、たくさんの方たちがそれぞれの分野、立場で活動しています。
 そして、その状況が地方紙でも伝えられ、震災前の元気な銚子に近づいてきているようです。

 自分の置かれた場で頑張っていらっしゃる市民の皆さんが、ジオパークを切り口として、大地の恵みに支えられた銚子をまるごと理解し、「銚子、大好き」になったら、もっと銚子が元気になるのではと思います。

 観光客から銚子の事について尋ねられた時、自分はどこまで答えられるだろうか・・・。
 分からない事だらけで勉強中ですが、おもてなしの心で「銚子の魅力」は伝えられると思います。

 町内会や各種団体(組織)で、ぜひ「銚子ジオパーク推進協議会」の出前講座を要請なさることをお勧めします。
 年齢層に関係なく、たくさんの市民の方が、「ジオパークの町、銚子」を誇れる
ようになるのも、夢ではなくなるかもしれません。
 

           文責 & 写真 : 房総の会(千葉県退職女性教職員銚子支部)会員
 

ジオぼけ世代

 最近ますますジオにのめって、頭の中はいつも、「ペルムか?、白亜か?、縄文か?」となっている。
 毎日、車で走っている小畑の道。犬吠~スーパー・カスミ方面は、縄文当時は海だった!
  ”縄文ファッション” をまとい、手にはチャート(珪質岩)製のモリと釣り道具、”縄文ベンツ” の丸木舟に乗り、古高神湾を愛宕山(島)から女学校(島)方面へ、釣りや狩りに行く。

 
   【フズリナ_高神礫岩         
フズリナEd  
愛宕島からは建築材としてのフズリナ(紡錘虫_ペルム紀)入りの高神礫岩(ジュラ紀)を、女学は ”ミス縄文”  用に琥珀(白亜)の交易等があり、あたかも、現代の銚子と波崎のようなものだったと推察される。 

  海に面し、銚子は黒潮・親潮ともにあるので、魚は入れ食いのように釣れたんだろうナー ・・・ などと空想が尽きない。
  アイナメ一匹釣るのが大変な今とは、ぜんぜん違う。

                                                               
           【琥珀_君ヶ浜産
琥珀Ed2   現役の船乗り時代、アフリカやオーストラリアの海で経験した、あの大きな魚・小さな魚がワー!!ッと迫ってくる感動を、もう一度味わいたいと思う ・・・ が、 もうないだろうか?
                            
 「”波、着く” 筑波(着波)のふもとに貝塚がある」と、TV地学でやっていたが、海がそこまで行っていたのかと驚くと同時に、どんな旨いものを食べていたか、気になってきた。

   【縄文のブレスレット=貝輪_余山貝塚産】    
余山貝輪Ed 貝塚は、女学校島に粟島台遺跡があり、”縄文美人” 用の琥珀の名産地。現代の あまちゃん” の琥珀よりも質が高い。
 ウーン!! 銚子にこんなものがあるとは・・・。


 貝塚は余山にもあり、縄文時代と聞いているが、何があるのかな??
 白亜紀のヒーロー=トリケラトプス恐竜が「孵化するオブジェ」は、犬吠埼の白亜紀の地層の上に建つマリンパーク水族館)の入り口に!

 空想の中でボケていく今日この頃・・・。 

                                                       【文 : フズリナ

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「余山貝塚幻視」

 余山貝塚と私のかかわりは、半世紀余り前、
「余山で貝塚が発見されたらしい(1959〔昭和34〕年の国学院大学などによる発掘のこと)。行ってんべー」
と、一つ年長の幼馴染と私との二人の小学生は、おにぎりと水筒を下げ、1里半余りを歩いて、余山へ・・・
でした。


        【野尻1号墳(前方後円墳)】         銚子駅からJR成田線で二つ目、椎柴駅に降り立つと、南側に
野尻一号墳は、の幅いっぱいに下総台地が広がり台地北辺の海食崖を遠望することができます。
 この崖の頂部(以前、銚子海岸局の送信所≪「椎柴無線」とも通称されていた≫があった付近)には、「野尻一号墳」と呼ばれる前方後円の古墳があります。

 このことから、椎柴駅の周辺、銚子市野尻町のあたりは、古代から栄えた集落であったものと想像され、野尻から、古くからの道、利根川や奥鬼怒湾に由来する砂州の頂部にあったであろう道を、南東方向へ2km余り辿ると、「余山貝塚」に達することができます。

 余山貝塚は、縄文時代の後期から晩期(紀元前2600~300年頃)にかけての遺跡で、貝や魚、獣、鳥の骨、土偶など、多彩な出土品があります。

 以下に、縄文時代の地形や、貝塚からの出土品などから、当時の余山を幻視してみます。
 
 『 余山貝塚幻視 』

 縄文の人々の朝は早い。                                          【余山貝塚】    
余山貝塚Ed 朝日が奥鬼怒湾の入り江に昇る頃、目の前の遠浅の海では、チョウセンハマグリなど砂浜の貝類が採取され、穏やかな内湾に仕掛けた網には、クロダイやスズキ、今朝はアシカまで掛かっており、大漁の小舟(丸木舟)が帰って来る。

 家々からは朝餉の煙が立ち昇り、集落の後背地の湿地(現在の水田)では、カモやアホウドリなど水鳥がエサをついばみ、乱舞している。
 お日様がその位置を高くする頃、子供たちを連れた人々が木の実の採取に、海食崖の不透層から湧き出る清水を横目に、坂道を登る。
 男達は、下総台地の平原を駆け巡り、シカを追い、イノシシを捕える。

 やがて、籠いっぱいの木の実、獲物を肩にかついで意気揚々と引き上げてきた人々で、集落は賑わう
 夕日が空を紅く染める頃、北関東の人々が、鬼怒川から利根川を小舟で下り、余山に到着。
 双方の特産品の交換と宴。余山の特産品「貝製腕輪」は、いつも人気度ナンバーワン。
 縄文時代に栄えた余山、古墳時代に栄えたであろう野尻、その関りへと興味は尽きない。           

                              【文 & 写真(野尻1号墳): 宮内 秀

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